めっちゃ自己嫌悪(馬鹿
2005年1月2日 ●思うこと昨日の日記を読んじゃった皆様へ
大変気分を悪くさせてしまってごめんなさい。
あのあと、何て馬鹿な事書いたんだろうって、すごく後悔した。
いくら苛々が溜まってたからって、アレは良くないと思った。
自分のほうがずっと自己中だ。最悪だ_| ̄|●
なんで、昨日の日記は削除しました。
ホントにホントにごめんなさい。
さっさとこのマイナス思考な自分をぶっ壊したい。
大変気分を悪くさせてしまってごめんなさい。
あのあと、何て馬鹿な事書いたんだろうって、すごく後悔した。
いくら苛々が溜まってたからって、アレは良くないと思った。
自分のほうがずっと自己中だ。最悪だ_| ̄|●
なんで、昨日の日記は削除しました。
ホントにホントにごめんなさい。
さっさとこのマイナス思考な自分をぶっ壊したい。
年賀状描こうと思ったら
去年あの子が送ってくれた年賀状が、ぱっと目に入った。
あの子らしい、素っ気無いような、だけど優しい文章。
「今年も仲良く楽しくって事で」
ねえ、今年、もう居なくなっちゃったよ。
仲良く楽しく出来なくなっちゃったよ。
どうすんのさ?
最近、とても怖い事がある。
思い出せない。
あの子の事が、何も思い出せなくなってる。
友達は時々「夢に出てきた」って泣きながら話してくるのに、
あたしは、あの子の声とか、顔とか、全然思い出せない。
今も、必死に頭の中を探ってるのに、
あの子が居ない。
アタシノアタマノナカニアノコガイナイ
一緒に過ごした時間はちゃんと存在するのに、
全然思い出せない。
ホントに怖いんだ。
思い出せなくて、ホントに怖いんだ。
プリクラとか、手紙とかから必死に想い出を探そうとしてるのに。
そこから導き出したものなんて、嘘みたいで。
自分がホントに経験した事だとは思えない。
あたしの中のあの子は、どこに行ってしまったんですか?
どこにいるの?
どこに行けば、あの子に会えるの?
どこに行けば、あの子を思い出せるの?
忘れるということは、とても怖いこと。
それなら
忘れるということは、きっともっと、怖いこと。
去年あの子が送ってくれた年賀状が、ぱっと目に入った。
あの子らしい、素っ気無いような、だけど優しい文章。
「今年も仲良く楽しくって事で」
ねえ、今年、もう居なくなっちゃったよ。
仲良く楽しく出来なくなっちゃったよ。
どうすんのさ?
最近、とても怖い事がある。
思い出せない。
あの子の事が、何も思い出せなくなってる。
友達は時々「夢に出てきた」って泣きながら話してくるのに、
あたしは、あの子の声とか、顔とか、全然思い出せない。
今も、必死に頭の中を探ってるのに、
あの子が居ない。
アタシノアタマノナカニアノコガイナイ
一緒に過ごした時間はちゃんと存在するのに、
全然思い出せない。
ホントに怖いんだ。
思い出せなくて、ホントに怖いんだ。
プリクラとか、手紙とかから必死に想い出を探そうとしてるのに。
そこから導き出したものなんて、嘘みたいで。
自分がホントに経験した事だとは思えない。
あたしの中のあの子は、どこに行ってしまったんですか?
どこにいるの?
どこに行けば、あの子に会えるの?
どこに行けば、あの子を思い出せるの?
忘れるということは、とても怖いこと。
それなら
忘れるということは、きっともっと、怖いこと。
何故「車輪の唄PV」では君と僕の立場が逆なのか?
2004年12月23日 ●思うこと受験生だっていうのにも関わらず、ずっとそんな事を考え続けて何も手付かずでした。
だって気になるじゃん!気になることは最後まではっきりさせないと気持ち悪いもん!
どんなことにも意味があると思うんで。特にBUMPの場合は。
ハイ、で本題です。
「何故車輪の唄PVでは君と僕の立場が逆なのか?」
多分、車輪の唄を聞いた人全てが持った疑問だと思う。
歌詞だと「旅立つのは君」「見送るのは僕」なのに
PVだとどう見ても「旅立つのは僕」「見送るのは君」になってます。
何でだろう?
最初はPV監督さんの大きな勘違いなのかなって思った。
でもそれだったら、製作中に普通に気付くからまず違う。
まさか実はこの2人は性同一障害とか性転換とか女装趣味とか男装趣味とかなのかなって訳わかんない妄想に発展したりもしました。(爆もう手遅れ)
でもどう見てもちゃんとした女の子と男の子だし。
それで、考えて、考えて。今日の夜やっと答えが出ました。
ああ、BUMPの(藤君の)PVなんだなって。
藤君が「曲の中に俺らを探さないで」みたいに言ってたけど、
ユグを聞いていると、曲の中にBUMPは見えてこない。
ホントに「ユグとアナタの関係」になってる。
どの曲を聴いても、藤君やBUMPが演っているようには思えない。
なんだか「ユグドラシル」が唄っているような、そんな気分に錯覚される。
今までのアルバムと「ユグドラシル」が違うって話をよく聞くけど、
そこが絶対的な違いなんだと思う。
「ユグドラシル」はアルバムとしてすごく独立してて、怖いぐらいに聞いている人と距離がある。
そのアルバムだけで、ひとつの芸術っていうか、完成されてる感じ。
今までのアルバムは「BUMPOFCHICKENの」っていう前置きがあったけど、ユグドラシルにはない。
BUMPとも距離がある気がする。温度が低いというか。
だからあたしは、ユグドラシルというアルバムを通して聞くとき、すごい覚悟を要します。まるで聖書を開く時のような。(って開いた事無いけど)
「曲といっしょに歳をとる」というよりは「曲と長い年月をかけて、曲に段々近づいて行く」って感じがした。
論点ズレたΣ(°□°*)
で、どうしてPVだとBUMPの唄になるのかなって言うと、
別にBUMPが出てるからって訳じゃなくて。
「リリィ」とリンクしてるからかなって思ったんです。「THE LIVING DEAD」のね。
あの、リリィの最後の部分
「終電を告げる放送 慌てて駆けて行く人
右手に君の左手 もう 離さなきゃ」
が、「車輪の唄」の「券売機の1番端の〜」の所とすごい近いものがあって。
でもリリィだと「旅立つのは僕」「見送るのは彼女」になってて。
だから「車輪の唄PV」っていうのは、BUMPを、藤君を意識して作ったんじゃないかなあって思ったんです。
藤君の実際に経験した(と思われる)「見送る君」「旅立つ僕」をPVでやったんじゃないかなって。
「ユグドラシルのミュージシャン」として唄うんじゃなくて、
「BUMPOFCHICKEN」としての歌を歌うために。
PV中で、男の子が絵を描くシーンもあるから、アレのモデルは藤君なのかなあって勝手に思ったり、だってそしたら辻褄も合うので。
つまり、結論としては。
「車輪の唄」=ユグドラシルの唄
「車輪の唄PVとシングルカット車輪の唄」=BUMPの唄
だから僕と君の立場が逆なのかなって思いました。
それが週末で、波音の得た答え。
読んでくださった方々、ありがとうございます。
長々と失礼しました。
PVについて、考えてる事とかあったら、すごく聞きたいです。
だって気になるじゃん!気になることは最後まではっきりさせないと気持ち悪いもん!
どんなことにも意味があると思うんで。特にBUMPの場合は。
ハイ、で本題です。
「何故車輪の唄PVでは君と僕の立場が逆なのか?」
多分、車輪の唄を聞いた人全てが持った疑問だと思う。
歌詞だと「旅立つのは君」「見送るのは僕」なのに
PVだとどう見ても「旅立つのは僕」「見送るのは君」になってます。
何でだろう?
最初はPV監督さんの大きな勘違いなのかなって思った。
でもそれだったら、製作中に普通に気付くからまず違う。
まさか実はこの2人は性同一障害とか性転換とか女装趣味とか男装趣味とかなのかなって訳わかんない妄想に発展したりもしました。(爆もう手遅れ)
でもどう見てもちゃんとした女の子と男の子だし。
それで、考えて、考えて。今日の夜やっと答えが出ました。
ああ、BUMPの(藤君の)PVなんだなって。
藤君が「曲の中に俺らを探さないで」みたいに言ってたけど、
ユグを聞いていると、曲の中にBUMPは見えてこない。
ホントに「ユグとアナタの関係」になってる。
どの曲を聴いても、藤君やBUMPが演っているようには思えない。
なんだか「ユグドラシル」が唄っているような、そんな気分に錯覚される。
今までのアルバムと「ユグドラシル」が違うって話をよく聞くけど、
そこが絶対的な違いなんだと思う。
「ユグドラシル」はアルバムとしてすごく独立してて、怖いぐらいに聞いている人と距離がある。
そのアルバムだけで、ひとつの芸術っていうか、完成されてる感じ。
今までのアルバムは「BUMPOFCHICKENの」っていう前置きがあったけど、ユグドラシルにはない。
BUMPとも距離がある気がする。温度が低いというか。
だからあたしは、ユグドラシルというアルバムを通して聞くとき、すごい覚悟を要します。まるで聖書を開く時のような。(って開いた事無いけど)
「曲といっしょに歳をとる」というよりは「曲と長い年月をかけて、曲に段々近づいて行く」って感じがした。
論点ズレたΣ(°□°*)
で、どうしてPVだとBUMPの唄になるのかなって言うと、
別にBUMPが出てるからって訳じゃなくて。
「リリィ」とリンクしてるからかなって思ったんです。「THE LIVING DEAD」のね。
あの、リリィの最後の部分
「終電を告げる放送 慌てて駆けて行く人
右手に君の左手 もう 離さなきゃ」
が、「車輪の唄」の「券売機の1番端の〜」の所とすごい近いものがあって。
でもリリィだと「旅立つのは僕」「見送るのは彼女」になってて。
だから「車輪の唄PV」っていうのは、BUMPを、藤君を意識して作ったんじゃないかなあって思ったんです。
藤君の実際に経験した(と思われる)「見送る君」「旅立つ僕」をPVでやったんじゃないかなって。
「ユグドラシルのミュージシャン」として唄うんじゃなくて、
「BUMPOFCHICKEN」としての歌を歌うために。
PV中で、男の子が絵を描くシーンもあるから、アレのモデルは藤君なのかなあって勝手に思ったり、だってそしたら辻褄も合うので。
つまり、結論としては。
「車輪の唄」=ユグドラシルの唄
「車輪の唄PVとシングルカット車輪の唄」=BUMPの唄
だから僕と君の立場が逆なのかなって思いました。
それが週末で、波音の得た答え。
読んでくださった方々、ありがとうございます。
長々と失礼しました。
PVについて、考えてる事とかあったら、すごく聞きたいです。
「天使なんかじゃない」藤原基央氏のコメントより
2004年12月23日 ●思うことさて、俺は人間が好きだ。
人に生まれたことを誇りに思う。
「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。
リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。
独りで生きる意味ってあるのか?
俺は孤独には全力で抵抗するよ。
いつだって誰かを探すよ。
他人が居てこその俺だろう。
傷付け合って存在確認だろう。
これらを放棄した俺なんて、
死んでる様なモンだ。
他人を、誰かを愛するという行為は、
全ての可能性のはじまりだと思っている。
この漫画を読み終えて、思った事です。
***
藤君が「天使なんかじゃない」の完全版に感想を書いたって話は聞いた事があったけど、
今日初めて読みました。
藤君らしい感想だよね。
誰かを愛したいって気持ちが無くなったとき、人は生きる意味を失くしちゃうんだな。
人は人無しじゃ生きられないし、
「人が嫌い」「人間不信」だって言ってる人だって
心の奥底では、きっと誰かを求めてるんだと思う。
自分の存在を確かに受け止めてくれる誰か。
自分の涙を確かに受け止めてくれる誰か。
一生独りぼっちな人なんていないから、
その「誰か」は必ず巡り会えるように定められてる。
そんな人を見つけた時、人は初めて強くなれるんじゃないかな。
必死で虚勢を張ってるような強さじゃない。心の強さが。
人に生まれたことを誇りに思う。
「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。
リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。
独りで生きる意味ってあるのか?
俺は孤独には全力で抵抗するよ。
いつだって誰かを探すよ。
他人が居てこその俺だろう。
傷付け合って存在確認だろう。
これらを放棄した俺なんて、
死んでる様なモンだ。
他人を、誰かを愛するという行為は、
全ての可能性のはじまりだと思っている。
この漫画を読み終えて、思った事です。
***
藤君が「天使なんかじゃない」の完全版に感想を書いたって話は聞いた事があったけど、
今日初めて読みました。
藤君らしい感想だよね。
誰かを愛したいって気持ちが無くなったとき、人は生きる意味を失くしちゃうんだな。
人は人無しじゃ生きられないし、
「人が嫌い」「人間不信」だって言ってる人だって
心の奥底では、きっと誰かを求めてるんだと思う。
自分の存在を確かに受け止めてくれる誰か。
自分の涙を確かに受け止めてくれる誰か。
一生独りぼっちな人なんていないから、
その「誰か」は必ず巡り会えるように定められてる。
そんな人を見つけた時、人は初めて強くなれるんじゃないかな。
必死で虚勢を張ってるような強さじゃない。心の強さが。